自分をなくすこと

こんにちは、圭香です。

春らしくなってきました。道にはいろんな色の花が咲いています。桜のつぼみも開いてきました。

学年が変わったり、職場の人事異動があったり、

環境がガラリと変わった方も多いのではないでしょうか。

 

私は、最近すっかり欲がなくなってしまいました。

なんでもいい、どうなってもいい、そんな感じです。

悪くとらえると、「どうでもいい」「無気力」みたいな。

 

それを良いと考えるか悪いと考えるかは、置いといて。

 

 

私は占いが趣味の看護師です。

仏教の僧侶でもあります。

 

お師匠さまは、「占いを売るな」と言いました。

占いは、「欲」とか「自分自身」とか「我」に焦点を当てるからです。

 

仏教の教えでは、それはいけないことです。

 

自分がどう、自分は他人とは違う、特別な存在なんだ。。。

 

そのような慳貪(けち)、我欲(自己中心的)、増上慢(驕り高ぶる)は「悪」です。

これにならないように、自分の心を磨いていくのが毎日の修行です。

 

もっといえば、他人の失敗や他人の欠点を、自分のこととして懺悔する、これが究極の修行です。

「身代わり懺悔」と言われます。

 

これはもう、本当に、、なかなか難しい、受け入れられない、実行できません。

 

腹が立つ相手のことを、自分のこととして懺悔するなんて、プライドが許さない。

あの人と私は違うんだ。

あの人が悪い。私には関係ない。

 

そう思うんですが、そんな自分のことも全部ひっくるめて、懺悔です。

 

・・実践は、本当に難しいです。

わたしも修行中です。

 

 

私は占いが好きで、ついついこの人はこういうタイプの人だな、なんていう視点で見てしまいます。

でも、ほんとうは、「その人も、自分」なんです。

ぜーんぶ、「自分」なんです。

 

だから、タイトルで「自分をなくす」と書きましたが、

本当の意味で無くすのは『自分と他人の区別』です。

 

占いも、そのためのツールとして使っていきたい。

そんなスタンスです。

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