なぜ占いなんてするんだろうと考える土曜日の午後。

占星術の丸呑みは危険だ。本当に正しいのか。

なんで当たるような気がするのか。

本当に当たるものなんだろうか。自分の捉え方次第なのではないか。

 

叡智が詰まっている。真理が入っている。

言葉の「あや」がある。トリック的なものがある。

 

人は分類したりされたりするのが好きな段階がある。

自分の存在を定義するのに、他人と比較する必要があるから。

占いを他人と比べるためのツールとして使う人もいる。

 

唯一無二の自分。

それはエゴを刺激し、喜ばせる。

エゴの存続を助けるものとなる。

悟りへの邪魔となる。

 

占いは、自分自身・自我など本来はないのだと悟らせるためのもの。

どんな人間も、惑星の影響を受けている。

どんな人間も、地球上で、空気を吸って生きている。

どんな人間も、水中で呼吸はできない。

どんな人間も、所詮は人間であるという事実。

重力の影響をうけ、生命のリズムのルールの中で生きている。

子供も、大人も、同じ地球に生きている、ただの人間であるという事実。

 

悩み相談。

人間は悩みや苦しみから逃げられない。

心の切り替えが必要な時がある。気分転換をすることを求められる時期がある。

そんな時のために、苦痛な状況から少し心を離すために、占いがある。

 

私はどうして占いをするのかなって考えている。

パソコン画面と向き合って、こうやってライティングとかをしたいんだと思う。

好きなことを書いてお金もらえたら良いなと思っている。

自分の考えを書いて、それで人が喜んでくれたら良いな。

木の机から視線を上げて窓の外を見ると、緑が揺れている。

涼しい風と森の香りが部屋に流れてくる。

鳥の鳴く声が聞こえる。

 

コーヒーを淹れて、パソコンに向き合う。

プロットに沿って文章を打ち込んでいく。

案外、簡単な作業なのかもしれない。

地道に、コツコツと一字一字。

私は、こういうのがやりたかったんだよなと思う。

決して目立たない。派手ではない。むしろひっそりと一人でパソコンに向き合う。

孤独のようにも見える、自分との対話の作業。

私がやりたかったのはこれなんだなと感じる。

自分がすごいことをしているとか、人の役に立っているという自覚は全くない。

昔は人の役に立ちたいとか、喜ばれるような仕事をしたいと思っていた。

この仕事はまったく違う。

人からの反応は、そもそも見えない。

どう思われているか、どう言われているか、自分の耳に直接届くことはほぼない。

反応が返ってこない、というのは、孤独とも言えるのかもしれないけど、これは孤独ではない。

自分と話し合う作業のどこが孤独なのか。

こんな充実感は、人といても叶わない。

 

たとえ家族であっても、孤独を満たすことはできない。

自分自身と離すことでしか、孤独は満たされないような気がする。

だからといって、それを人に勧めようとも思わない。

自分だけの感覚かもしれないし、そうではないかもしれないから。

自分が満たされているこの感覚が、他の何者にも変えられない。

充実した今。この連続をずっとやっていけたら良いなと思う。

 

すっかり冷めてしまったコーヒーを口に入れると、やさしい苦味が感じられた。

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