占星術の丸呑みは危険だ。本当に正しいのか。
なんで当たるような気がするのか。
本当に当たるものなんだろうか。自分の捉え方次第なのではないか。
叡智が詰まっている。真理が入っている。
言葉の「あや」がある。トリック的なものがある。
人は分類したりされたりするのが好きな段階がある。
自分の存在を定義するのに、他人と比較する必要があるから。
占いを他人と比べるためのツールとして使う人もいる。
唯一無二の自分。
それはエゴを刺激し、喜ばせる。
エゴの存続を助けるものとなる。
悟りへの邪魔となる。
占いは、自分自身・自我など本来はないのだと悟らせるためのもの。
どんな人間も、惑星の影響を受けている。
どんな人間も、地球上で、空気を吸って生きている。
どんな人間も、水中で呼吸はできない。
どんな人間も、所詮は人間であるという事実。
重力の影響をうけ、生命のリズムのルールの中で生きている。
子供も、大人も、同じ地球に生きている、ただの人間であるという事実。
悩み相談。
人間は悩みや苦しみから逃げられない。
心の切り替えが必要な時がある。気分転換をすることを求められる時期がある。
そんな時のために、苦痛な状況から少し心を離すために、占いがある。
私はどうして占いをするのかなって考えている。
パソコン画面と向き合って、こうやってライティングとかをしたいんだと思う。
好きなことを書いてお金もらえたら良いなと思っている。
自分の考えを書いて、それで人が喜んでくれたら良いな。
木の机から視線を上げて窓の外を見ると、緑が揺れている。
涼しい風と森の香りが部屋に流れてくる。
鳥の鳴く声が聞こえる。
コーヒーを淹れて、パソコンに向き合う。
プロットに沿って文章を打ち込んでいく。
案外、簡単な作業なのかもしれない。
地道に、コツコツと一字一字。
私は、こういうのがやりたかったんだよなと思う。
決して目立たない。派手ではない。むしろひっそりと一人でパソコンに向き合う。
孤独のようにも見える、自分との対話の作業。
私がやりたかったのはこれなんだなと感じる。
自分がすごいことをしているとか、人の役に立っているという自覚は全くない。
昔は人の役に立ちたいとか、喜ばれるような仕事をしたいと思っていた。
この仕事はまったく違う。
人からの反応は、そもそも見えない。
どう思われているか、どう言われているか、自分の耳に直接届くことはほぼない。
反応が返ってこない、というのは、孤独とも言えるのかもしれないけど、これは孤独ではない。
自分と話し合う作業のどこが孤独なのか。
こんな充実感は、人といても叶わない。
たとえ家族であっても、孤独を満たすことはできない。
自分自身と離すことでしか、孤独は満たされないような気がする。
だからといって、それを人に勧めようとも思わない。
自分だけの感覚かもしれないし、そうではないかもしれないから。
自分が満たされているこの感覚が、他の何者にも変えられない。
充実した今。この連続をずっとやっていけたら良いなと思う。
すっかり冷めてしまったコーヒーを口に入れると、やさしい苦味が感じられた。