圭香です。
私は、奇跡のコース(ACIM)を独学で毎日実践中です。
今日は、その学びを共有したいと思います!
奇跡のコース、奇跡講座、A Course In Miracles。
何度も自分の人生で辛い時期があり、精神世界や心理学の本を読み漁り、占いを勉強し、仏教のお寺で得度したりしてきました。
でも、なかなか納得のいく答えが見つからなかった。
そんな私がたどり着いたのが、奇跡のコースです。
Amazonで「奇跡講座(上)、(下)」「神の使者」を購入し、読み込んでいます。
奇跡のコースは基本的に独学が可能です。
お寺に通っていた時に、もう集団に属するのは嫌になっていたので、自己学習ができることに惹かれました。
今回は、その毎日の学びの中での自分の気づきを書きます。
この世界に見ているものは、「愛」か「愛を求める声」のどちらか。
愛なのか、愛を求める声なのか。
今見ている世界は、このどちらかしか無い。
どちらを選ぶのですか、という話です。
「愛」を言い換えると、安心、信頼、喜び、安楽、心地よさ、静けさ、など。
反対に、
「愛を求める声」は、恐れ、不安、怒り、焦り、罪悪感、心地よく無い感じ、など。
愛or愛を求める声、という概念を実際の世界に適用してみる
わたしは、小学生3人を子育て中、仕事は看護師をしています。
その生活に当てはめてみると、
・朝起きると、子供が隣で寝ていて可愛いなと思う=愛
・子供が起きてきて、「ねえ、おかあさん」「あのね、お母さん」と次々に話しかけてきて、うるさいなと感じる=愛を求める声
・朝食を用意してみんなでワイワイ食べる=愛
・学校に遅れそうになり、子供を急かし、ついつい怒鳴る=愛を求める声
・・・とまあ、こんな感じで、愛なのか、愛を求める声なのかが入り混じっております。
これを読んでいるあなたも、やってみてください。
いま体験していることは、愛なのか、愛を求める声なのか。
それで、ここからが学びなのですが、愛を求める声は手放す対象なんです。
愛を求める声っていうのは、心のバグと同じ。エゴの間違い。幻想。
本当は、この世の中全部、エゴが作り出している幻想なのですが。
まずは、愛を求める声については手放す。
手放す方法→聖霊に差し出し、取り消してもらうやり方
自力で取り消しってのは、できないんです。(エゴが作り出したものだから、エゴの世界の中では消せない)
わたしは、いつも一緒の聖霊をイメージしていて、その子に差し出しています。「あ、これ、間違ってる考えだ。どうか、取り消してください!」
これを、愛を求める声が出てくる度に、毎回毎回、やります。
忘れちゃうこともたくさんありますが、思い出したタイミングで大丈夫。その都度。
学びの途中だから、はっきりとその効果を実感できた経験は少ないんですが、「ああ、聖霊が動いてくれたんだな。ありがとう。」という瞬間が、確かにあります。
取り消してくれた結果を、ふとした瞬間に見せてくれるんですね。
わたしの学びはまだまだこれから。
地道にやっていくしかありません。
いつか、この世界、この宇宙は、自分の自作自演だった!と気付きたいです(笑)
では、また別の記事でお会いしましょう!