罪悪感と自己否定。もういらない。手放そう。

ポカポカと午後の日差しが差し込んでいる。

窓の外で鳥の鳴き声が聞こえる。

カーテンを揺らす風。

 

自分って、なんで生きているんだろう。

自分が生きていてもいいんだろうか。

自分はなんのために生きているのだろうか。

なんであの人が死んで、自分が生きているんだろうか。

自分はなんの役にも立っていないのに。

生きていていいんだろうか。。。

 

自己否定。

罪悪感。

嫌悪感。

 

私の人生にはいつもこれがある。

いつもいつも、毎日毎日、罪悪感に押しつぶされそうになる。

朝の布団の中でも、ゆっくりコーヒーを飲んでいる時にも

どこからともなく

やってくる罪悪感。

私が悪いんだ。

こんなことじゃいけない。

これじゃダメだ。

 

そんな自己否定の言葉は、本当のことのように感じられる。

自分の心の中から湧き上がってくる自己否定と罪悪感。

毎日これだから、そうなんだと自分の中に受け入れてしまう。

いつも一緒にいる自分が、自分を責めている。

 

その言葉は、実はむかし

お母さんが私に言ったことかもしれないし

お母さんの態度から自分が勝手に「これはいけないことだ」と考えたのかもしれない。

 

幼い頃、友達とのことをお母さんに聞いて欲しくて、うれしくて、たのしくて、話した。

そしたら、お母さんは一緒に喜んでくれなかった。

私の楽しい気持ちを、一緒に味わってくれなかった。

あれ、お母さん、この話を聞いても楽しくないんだ。嬉しくないんだ。

あれ?私が感じてることって、もしかして、間違っているのかな。。。

 

誰にも聞けない。

誰にも話せない。そんな疑問。

そのことが、似たようなことが、何度も何度も、積み重なっていった。

自分が楽しいって思うこと、嬉しいって思うこと。

それって、よくないことなのかもしれない。

自分の喜び、楽しみ、って本当はダメなのかもしれない。

極端かもしれないけど、そんなふうに感じてしまった。

 

誰も悪くない。

誰に責任があるわけでもない。

ただ、そういうことがあったのかもしれない。

なかったかもしれない。

 

でも、私は自分が嬉しい時、楽しい時に罪悪感を感じる。

自分が幸せなこと、楽しく生きていることに、漠然とした罪悪感がある。

 

その感覚って、実はもう要らない。必要ない。

だって楽しくないから。嬉しくないから。

自分をディスる言葉など、信じなくていい。

捨てていい。

 

さあ、どうやって捨てようか。

「捨てる」と決めればいい。

胸のあたりでモヤモヤしているそれを、

イメージの中でカゴに入れて、

それに風船をつけて、空に飛ばしてしまう。

カゴがどんどん空に上がっていき、点になり、見えなくなる。

 

手放すって、簡単なこと。

何度も何度も、そうやって飛ばしてみて。

出てきたものは、全部そうやって、手放してみて。

 

もうあなたには必要ない。

あなたを苦しめているものは、もう要らない。

 

自分を大切にしよう。

自分を愛する。っていうのは、自分をいじめないことでもあるんだよ。

大丈夫。

あなたは楽しく嬉しく、幸せに生きるべき。

その権利があるし、価値がある。

大丈夫!

 

圭香

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